素通り通信

愉快な記録です。

犬の不在の存在感

もうすぐ愛犬が亡くなって半年になる。

一緒に暮らしていた家からも引っ越してしまい、思い出が少しずつ記憶から消えて行ってしまう。

ふとした瞬間に、犬の不在に気づいて、失ったものの大きさに泣いてしまうことが今でもある。

先日、首都圏に大雪が降った。

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雪が好きな犬だった。

子犬の頃から本当にハイテンションで雪に突っ込んでいった。

四年前の大雪の時は、庭から銀世界を眺めていた。

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お散歩に連れていって欲しかったらしく、門の前で座り込みを始めた。

お散歩行く前にお座りさせる習慣があったのだが、指示しないでもお座りするとは、かなりの散歩希望者である。

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もはや凍りついている。

とはいえ、この時間帯はガチ吹雪の状態で散歩は無理であった。なんとか説得して玄関に入れ、ドライヤーで乾かしたら膨らんだ。

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こんな思い出は忘れるわけがないのだけれど、犬がいない生活は寂しい。

外出中に天気が悪くなると、まず犬の心配をしたり、夕方になってくるとお散歩に行かなきゃと思ったり、配偶者と共に残業が長引けば、お散歩時間帯を心配したり、寒い夜は玄関に入れてあげなくちゃと動いたり、おやつの種類に悩んでみたり、飛び回る抜け毛に苦戦したり

生活から犬がいなくなると、やることが少なくなる。

そして、どんな時もわたしがそこにいるだけでまっすぐな愛情を全身で表現してくれて、寄り添ってくれたら撫でると喜び、悲しい日は足元にくっついてじっと話を聞いてくれていたり、楽しい日はハイタッチしたりおもちゃで遊ぶとノリノリになってくれたり。

犬は素晴らしい生き物だ。

あの無垢な魂は今どこにいるのだろう。

 

犬がいない、という寂しさ。

 

静かな夜になると、その寂しさに直面してしまい、写真を見ていると泣いてしまう。

 

もう犬を飼うことはないと思う。

それだけ大きな存在だった。