素通り通信

愉快な記録です。

5月、再び壊れる

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ゴールデンウィークは寿司を握り

翌週足の指を骨折

そしたら割と人生最大級の不眠症になってしまい

四日間で二時間くらいしか眠れなくて、ろれつは回らず、涙が止まらず、足は痛いし、ぐったり。

なんとか頑張って通院は続けているので

わりと今、眠剤がすごい重い処方になってます、まあ眠れるようにはなったが

不眠の時期の自分の行動が割とありえない感じで壊れてて

あと不眠が続くと視力、聴力、思考力全部落ちますね。

頑張ってたくさん歩いて疲れさせるとかの技も、骨折してるとできなくて

軽い地獄にいました。

ちょっとまだ怖いです、不眠が。

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22日のライブはYouTubeで配信するそうです。

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またね。

45歳くつしたさんのまとめ

44歳の終わり、2020年の12月に転職して今の会社に入りました。

 

1月 テレビ「家ついて」出演

2月 なんだろ

3月 ライブとかしたかな、ねずみが来る

4月 仕事増える、体調が微妙、ラジオに出る

5月 燃え尽きる

6月 イベント主催、学級崩壊、盲腸1

7月 忙しくてかなわん、ワクチン、ライブ自粛

8月 太りすぎる、ワクチン、精神壊れ吃音、盲腸2

9月 壊れたまま生きている、盲腸3

10月 ??

11月 ライブ再開、ラッパーになる、アメ横で飲む

12月 ラジオ出演、うつ病再発、いろいろ終わる

 

 

それだけでも色々ありすぎる12月の私

うつ病再発

パニック障害

ガスがとまる

ガス復旧したらガス漏れ発生の連絡(なおる)

電気が止まる

携帯が止まる

すごい希死念慮の衝動に苦しむ

ねずみちゃんがかわいい

黒木ちひろさんがかわいい

ピクミンのお陰でうつ病にしては外に出れるようになる

きむら、好きだ

友達がみんな、いいやつ

元同居人が日本酒送ってきてくれて、おいしい

記憶がないまま顔面打撲

アパートの更新料を振り込んだつもりが、大阪の楽器店に振り込んでしまう

返済されるが年明けになるとのこと

会社がいろいろ私が不利になる条件(賃金面)をちらつかせてきたので労基に訴え中

借入も詰んできてブラックに乗る

だいたい死にたくなる。

 

ほしいもの、あげときます、

 

くつしたさんのほしいものリスト

Amazon.co.jp

 

ピクミン、ポケ森、リヴリーやってます

 

金髪はやめてます、テレビ効果のすごさを思い知りまして、、、、、

 

まあでも、なんだ、有名芸能人とテレビでセッションしたり、あらたにラップ始めたり、仕事、最後の最後でちょっとだめだったが一年は全力疾走して技術力発揮できたし、大好きな人たちとライブイベントやれたし、ねずみかわいいし、悪くない45歳でした。

ジャニーズアイドルと共演したんだぜ、やばいよな。

 

よい46歳でありますよう。

 

みんな大好きだ。

 

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鬱の再発

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ひとつ前のエントリーに精神科通いが終わって薬も抜けた話を書いたのだが

残念なことに今週になって鬱が再発したようで、病院にはまだ行けてないのだが、トイレ行くのも数時間かかる感じで、これは鬱だなと

じわじわと予兆があったのを無視して、うつぬけしたことにして、少しの無理を重ねていたら危険水域に達していたような、そんな感じです。

 

とにかく動けないのだが、家は日当たりがよいので温まってくると少し動ける。

 

どれだけの人に迷惑をかけてしまっているのか、今の会社もようやく一年、ハードではあったが一年なんとか続いて、不満はあれど、好きではあって、責任も果たせない現在、ただ横になって泣いているとか、どうしてこうなったのか。言語化できないくらい脳を何かに乗っ取られているかのような思考の重さ。

 

2年前に大きめの鬱になり、派遣で行ってた職場に迷惑かけてしまい、契約も終わり、泣きながら最後の仕事をして、ちゃんと休んで薬飲んで治して復活してねって優しい人に言われて、戻ってこれたと思ってたらまたこうなるとか、学びがない。

どこで判断を間違えたか判断する思考力が今はない。

 

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ぼんやりしながらも、何度もここから立ち上がってきたことを思い出すと

以前よりも立ち上がり方は知っているはずなので

なんとかして戻ってきたいと思う。

 

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またね

 

ふんわり抜けたうつ病と秋のさみしさ、黒木ちひろさんのライブを見にいった話

30代の序盤だったか、一緒に飲んでいた友人が「20歳の頃ってつい最近だったって感じするじゃん」と言っていた。
その時はそんな感じもしていた。20歳からあの年齢まで過ごした時間、そしてその時点から今までの時間、体感的には後者のほうがずっと長い。
年を取ると月日が早くなるというのは結構真実ではない。

その翌年友人は癌でこの世を去った。ちょうど11月のことだった。なので、なんとなく秋はいろいろと思い出してしまう。

運命はいろいろなものを奪ってしまう。
生き残ったのが自分でよかったのか。
こんな40代になってよかったのか。
もっと早めに見切りをつけるべきだったのではないかと。

つい最近も以下のようなことを書いていた。

kutsushita.hatenablog.com

仕事でもそれ以外でも、20代や30代の若者と話をすることが多い。
本来なら、40代のくつしたさんが楽しそうでかっこいいから、自分も大人になるのが怖くなくなった、ああいう40代が待っているなら生きていきたいなと思わせるような40代でいるべきなのだが、自分ははるか遠いところにいる。

 

ちゃんと抜けたのかどうか定かではないのだが、今年、抗うつ薬とかの類を飲まなくなって、離脱症状も出なくなった。
薬で脳内物質をいじっている状態から脱したのだ。
こうなった自分は本来の自分なのか、それとも壊れた部分はそのままなのか、わからない。

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そんな、なんてことはない秋の日、黒木ちひろさんのライブを見に行った。
黒木ちひろさんというのは何というか、いつも整っており、ミュージシャンとしても人間としても立派で、つねに我々の背筋が正されるようなふるまいをされていて、尊敬に値する感じの人で、というかまだ全然若い人なのだが、同世代にこういう人がいたら、勝ち負けではなく打ちのめされて、自分は早々に音楽とか辞めていたんだろうなと思う。
おそらく、24時間365日黒木ちひろさんが黒木ちひろさんであり続けるのは大変だろうけど、ずっとそこにありつづけている。尊敬しかない。

決定的に黒木ちひろさんには足を向けて眠れないと思っているのは、今年の初頭の自分のテレビ出演、あれは黒木さんのライブを見に行った帰りに取材陣にキャッチされて実現したものであり、もう黒木さんのおかげでしかない。それで最終的にオンエアされるとかいうレベルを超えて、長年大好きだった芸能人の方やキラキラしたジャニーズアイドルと全国放送でセッションまでやってしまったのだから、ほんとに感謝しているし寝るときたぶん足は絶対に向けない。
かといって、私に、その感謝について、できることがあるかというと何もないので、精いっぱい黒木さんを応援するのである。

 

で、半年ぶりくらいに、その黒木さんのライブを見た。何度か行ったことのある横浜のハコである。
何かスペシャルなことがあるわけでもない通常のブッキングのライブ、自分にとってもそう、何かスペシャルなことがあった日ではなくいつものように労働に疲弊して見に行った数あるライブのうちのひとつ。
だったのだが、妙に心にひりつく印象が残るライブだった。切実さがすごかった。
まあ、概してライブというのを繰り返していると、特別ではない時のものが、ずっと頭の中に残り続けるような、そういうことはあると思う。
自分も経験してきているが、ものすごい有名人と一緒のイベントとか、ものすごいお客さんがパンパンに入っているとか、ものすごい大きな会場でやるとか、ものすごいゲストと一緒に演奏するとか、ものすごい事務所のプレゼンライブとか、ものすごい台数の配信カメラがあるとか、そういった「ものすごいこと」が特段無い、そういった日も音楽は音楽で、ライブはライブなのだ。

黒木さんは割とこう、きちんとした演奏をする人で、「緻密に折り目正しい」という言い方が合っているかどうかは分からないのだが
逸脱することにスリルと美学を感じてステージに立ち続けている自分には絶対にできないスタンスだ。たぶんそうなのだ。
でも、そういった黒木さんが「折り目」からはみ出すアウトプットを出したとき、聞きなれた言葉もメロディーも全然違うルートで直接心に刺さってくる。

「音楽」ではなく「表現」を浴びせられた瞬間だ。

おそらく「ライブ」をいうものをその場で見るという醍醐味は、そういった、その場所にいないと刺されない箇所でずぶずぶと刺される体験があるかないか、というのがあると思った。

この日のライブは、その、ひりひりとした「表現」をたくさん浴びた、そんな気がした。

 


「すごくよかったです」って言えばよかったのだが、私のような人が言ったところで、、、、どうなのだろうか、、、と逡巡してしまい

感想がうまく伝えられなかったので、買ったばかりのビールを黒木さんにあげた。

自分は最近髪の毛を自分で剃るのが楽しくなってしまったので、かなり変な髪型で、外に出るときは帽子をかぶっていて、ライブも変な帽子を被って見に行った。
正直帽子が似合うタイプではない、髪の毛も似合わない。
「ワイは帽子も髪の毛も似合わない」と、こないだ、黒木さんのスタジオ配信のときコメント欄に書いていたのだが、それを覚えていたようで、ちょっと突っ込まれて、ちょっと嬉しかった。

 

折り目正しい感じの黒木さんだがライブ中にときどき覚醒したのかという瞬間があり、そのときすごい鋭い目をする。ギラつくというと若干下品だが、整っている黒木さんがああいう目をすると、背筋がびくっとするくらい感動する。頭に刃物を突き付けられている感じ。そういう瞬間も何度かあったなというライブだった。
ひたすらに切実だったんだろうなと思う。
整っている黒木さんは、もがいている姿さえも、美しいのである。

 

秋の日の、なんてことはない日のライブではあるが、5年後10年後に「黒木ちひろさん」のことを思い出すとしたら、この日のライブだったりするんだろうなと思った。
いろんなことは忘れてしまうが、覚えているんだろうな。

自分にとっての過去というのもわりとそういうものだ。

 

まあ、さすがに10年後は自分、生きていないと思うが。

運よく5年後も生きていたとして、このライブのこととか、黒木さんのギラっとした目とかのことを思い出すのだと思う。

 

なんてことはない日のことを、なんてことはないシチュエーションのライブのことを
記憶の断片ではなく「思い出のひとつ」にできる体験は貴重だ。発端は些細な何かが引っかかっているだけなのかもしれない、でも、その時の切実さや感動はずっと思い出に残っていく。

そういうことが少しあれば、生きていける。


余談になるのだが

このような、ひりつくような体験がそこそこ手軽に味わえるので、アマチュアミュージシャンのライブに結構いっていた。しかしコロナ禍とかそういうのがあって、あとアマチュアですごいなと思える人がぜんぜんいなくて、いろいろ疲れてしまっていて、行く頻度も減ってしまった。
まあたぶんアマチュアの側も、たとえば女性だとおっさんしか見に来ないとか、届けたい相手にちゃんと音楽が届けられないジレンマはあると思う。
私という個人は比較的恵まれていて、そこそこ届けたい人に届けられてきていたりもするのだが
なんだろうな、あんまりみんな腐らずに音を出し続けてほしいなとは思う。
私は、ちゃんと、受け取りに行きます。

 

冒頭に書いた友人が今も生きていたらどうなっていたのかなあと考えることはたまにある。絶対にかなわない夢なのだが。
ちょっと引くほどに私の音楽の才能を買ってくれている人だったので、たぶん、今年のテレビ出演なんかも異常な熱量で喜んでくれてたんじゃないかなとか思った。
あれから何度も繰り返した秋、その向こうに凍てつく冬がある。

 

まあ、とりあえず、生きるんでいいと思う。

10年経っても変わらず、老いだけがある

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

会社員兼ミュージシャン、肩書は10年前とは変わらない。

ここ10年のそれ以外の変化は割とある、あの頃生活の中心にいた愛犬は天国に旅立ち、離婚を経験し、精神疾患になり、仕事も何度も変わり、神奈川に住まなくなり、さらに貧乏になった。だいぶ変わった。

 

精神を病んでしまったので、脳が壊れてしまった。

本来やれていたことの殆どができなくなった。

自分のパフォーマンスを発揮できないから仕事もできない。車の運転もできない。基本的な生活ができない。良い音楽が作れない。楽しいライブもできない。ミュージシャンとして必要とされない。

人格も変わり、体型も体質も変わり、おそらく生きているのが地獄のようにつらい。

そして老いた。老いだけがここにある。

 

10年間で知り合った人たちは、その前、本来のわたしを、知らない。

 

10年より前からの友人知人は皆、家庭を持ったり立派な仕事をしたりしていて

ライフステージが変わってしまい、以前のようなスタンスで仲良くできない感じになった。

 

ともかく孤独である。

ただ、10年前ならともかく、こんなふうになった自分には、孤独を埋める価値すらないと思うので

ただただ耐えている。

 

10年後を考える。

10年後はおそらくこの世にはいない。

どことなく体調が悪くても、精神の薬が切れても、歯の詰め物がいくつも外れても、病院などには行かなくなった。助かりたくないからだ。

病院というのは助かりたい人が行くところである。

 

なにもかも変わってしまったのだが、離婚も精神病も貧乏もなにもかも自業自得であるので

そして修正することもできないので

みじめに孤独に生きて、10年以内にはなんらかの要因で死ぬ。

 

みっともない人生だったが、自分の意思で生まれてきたわけではないので

これも仕方がないのだと思う。

 

あのまま壊れずに生きていたら、思い描いていたように家庭を持ち続けていたら、同じような仕事を続けていられたら、楽しいミュージシャンのままでいられたなら、きっと素敵な10年間だったろうし、この先の10年20年も生きていられたのだと思う。

 

なにもない自分。

 

唯一変わらなかったことは、生きている、ということであるか。

それくらいしか見つけられないくらい、なにもかもが変わってしまった。

 

10年があっという間だったのかもしれない。

だとしたら次の10年もあっという間で、そしてこの世から消えることができる。

 

毎日は好き勝手にすぎていく、まあまあ楽しいこともある。

でも常に「変わってしまった自分」が惨めである。

 

おそらくこのテーマで書いている人は、皆、子供が成長したとかライフステージが変わったとか、何か華々しいことを書いていると思う。

いくつか読んだがみじめになるだけだった。

同じような気持ちでいる人がこれを読んで、ちょっと救われた気になったら幸いである。

おわり

新社会人になるみなさんへというか新社会人にになったときの思い出(20世紀を語るババア)

くつしたです。

 

テレビで「金髪OL22年生」って紹介された変な人が過去の話をします。

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変な人ですね。

 

大学を出て社会人になったのは、1999年の春のことでした。

すごい話ですね、20世紀ですよ。

私は一浪してそれとなく小規模な国公立大学に進み、登校せずに酒ばかり飲んで堕落した大学生活を送っていたのですが

周囲の流れに乗って就職活動というものをやってみました。

当時は葉書を書いて資料請求してエントリーするっていうシステムでした(インターネット?なにそれ?)よくわからんが周囲の人たちが頭は悪いけど意識は高い、みたいな人たちだったので、みんな盛んに就活してまして

私もやらなきゃいけないのかなという気持ちでおりまして。

 

よく「就活しなかった」ことを自慢する大人っているじゃないですか。レールに乗りたくなかったとかリクルートスーツが嫌だったとか、そんな感じの論調で。当時はいたんですよバブルの名残が上の世代にあったので。

じゃあ公務員とか国家資格とか取ってるかっていうとそうでもなく、パッとしないフリーターみたいな人。

個人的にそこってアピールする箇所じゃないと思ってたんですよね、そしたら「高校受験しなかった」とかのほうが希少性は高いのかと。

大学まで行っといてレールの話はしないほうがいい。

そして私の世代は就職氷河期でございまして、(今になって社会問題になってる世代です。)異常に大変だ大変だという感じが出てました。

なんというか、そういう時代であるなら、就職活動をやっといたほうが

おそらく経験としてプラスになるのでは。

 

ということで、流れに乗って就活をはじめたわけです。

 

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ちょうど就活の頃、今の姿が想像できないころの写真がこちらになります。イケイケ女子大生ですね。しかも古い。

じつは若干モテてましたが人の好意を信じない人だったので損をしてたようです。

 

この写真は祖母が米寿になったってんでパーティーしたとき家族が揃ったからってんで親戚の誰かが撮った写真です。ん?米寿だっけ?

祖母はその後もずっと元気で102歳?103歳?くらいまで生きました、長寿素晴らしい。

その祖母のお通夜に行った時の私の写真が以下になります。

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我ながらひどい。変化しすぎではないですか。たしか前の写真と同じスーツなんですよ。すべてがひどい。

これは前月?前々月?くらいに脳のカテーテルでくつしたさん、入院しまして、何かあったら頭を開く手術になるかもという理由で人生何度目かの坊主にしていたら、伸びかけのタイミングで祖母が亡くなってしまいまして、、、、(この話は長くなるので別のところで。)

 

で、就活の話に戻すと

ちょっとやってみたら、当時いちばん行きたかった会社から内定が出てしまいました。

氷河期になんという幸運。

 

ぶっちゃけてしまうと、私の就職活動というのは

二日酔いだからとか、なんかだるいからとかいう理由で会社説明会などのいくべきところに行かなかったり、面接官がわけわからん感じだった会社は、選考進んでも、その後居留守使って連絡を断ってみたり、やりたい放題のむちゃくちゃでした。

そう、氷河期なのに「選ぶ側」をやっていたのです。

もうほんとに今から考えるとひどい。

行きたいなーという希望がすごい会社しか行かなかったし、リゾート地で2泊3日(だったかどうか記憶は定かではない。ただ、テニスをさせられて疲れたのは覚えている。)の合宿審査みたいな面白そうなやつは行ってたし、なにより就職活動を言い訳にして授業さぼりまくれたのがよかった。

だいぶひどい話ですが、なんとなく私は行きたいところに行けるという変な自信がありました。

 

それでまあ第一志望に内定をいただいたわけですが、内定出た最終面接で話したこと、内定の言葉いただいた瞬間とかは今でも鮮明に思い出せます。

くつしたさんは氷河期にさっさと内定取れた幸運の人になりました。

5月くらいだったかな。

 

で、その新卒で入った会社は学習塾で、わたくしは専任講師になりました。

 

今の私を見ている人は、くつしたさんって先生に向いてるとか思うでしょう、実は向いてなかったんですよ。

人前で話すの苦手だし、勉強できなかったから教えるのも得意ではなかった。

でも会社は手厚くて、そんな私でも立派な先生をやれるようにって入社半年前から研修が何度もありました。

極め付けは3月はじめの研修合宿。

その最終日に配属先発表になり、そのまま3月後半から「春期講習」に投入されたわけで

大学の卒業式とかやる前にくつしたさんはフル稼働で社会に投入されてしまっておりました。

卒業式の日だけは休みがもらえたけど前の日も次の日も仕事です。

そんなわけで「学生気分を残したまま4月1日から社会人だウォーー!」という経験は、しておりません。

それどころか、内定が出ていたものの学業をサボりすぎていて絶対的に単位が足りておらず、卒業できるかどうか最後の最後まで確定していない、これまたひどい状況でした。

卒業認定に落ちて掲示板に名前貼られたんですよ。

 

しかし、うちの大学には卒業認定に「救済措置」的なものがありまして

それは最終の取得単位確定時に「授業一コマ」だけ足りない場合は当該授業の教授から直接指導を受けて単位認定を受ければ卒業できます、というものでした。

私は幸運にもその「一コマ」で足りない状態でして

「一コマ」をクリアして卒業もしてしまいました。

ちなみにこの救済措置はうちの代が最後だった。ありえない幸運。

 

運の良い「新社会人」としてスタートダッシュを決めまして

その後3年間塾で死ぬほど鍛えられ、その後いろいろと流転の生活ですが、今現在はたいへん良い会社で好きな分野の仕事に没頭できています。

 

そんな就活時代とかの過去を知っている人のラジオ番組にゲスト出演することになりました。

 

横浜は本牧の「マリンFM」という局で(リスラジというアプリで、どこでも聴けます)

4/5からスタートする「白石清裕のやかんラジオ」という番組に4/19と26の2回ゲスト出演です。

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収録はだいぶ前に終わっておりますが

くつしたさんの学生時代から知っている人の番組ですので

 

なんか凄いパフォーマー「くつしたさん」として

今までいろんなメディアで扱われていた真面目な内容とはぜんぜん違う、攻めた方向性で

超絶にひどい面白い話をしておりますので

いまから「リスラジ」をインストールして

お待ちいただけたらと思います。

 

どこにも明かしてない黒歴史白歴史黄金歴史闇歴史を四半世紀知り合いの人に炙り出されるふごいことになってますので

みなさん聞いていただきたいです!

 

ちなみに3月から仕事してたので、入社式の記憶はありません!!!!

 

じゃあねー

 

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(ネタバレなし)エヴァシリーズ、完結してしまった。

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みんな、みにいっていると思いますが、シンエヴァ、初日の朝7時の映画館に行きました。

まさか席取れるとは思ってなくて、争奪戦という名のサーバー攻撃に参加しまして

最後の3席のひとつに滑りこみました。

 

渋谷のtohoとか、めっちゃ人が来るところにしたのは、今の会社がそこから徒歩3分のところにあるからです。

9時50分まで映画観てて、10時から始業、間に合いますよね。

 

大学に入った年にエヴァのテレビ放映が始まりました。

当時の私は、1年間テレビなしの予備校の寮生活明けで

実家にいた頃もテレビを見てなかったので

食いついていました。

その後の深夜のダイジェスト、みんなで集まってみたり、ビデオ借りて集まって上映会したり、映画になった時はみんなで行って旧劇で落胆したり

新劇で興奮、Qで寝込む。

 

思い出を語るには想いが大きすぎて

でも、今回ほんとに

終わったんだなって喪失感がすごくて

なにしろ人生の半分以上を「エヴァンゲリオンの謎解き」で生きてきた自分なので

終わってしまったという人生の穴が。

青春がやっと終わったのだろうなぁ。

エヴァの結末を気にしないでよい人生が始まってしまいました。

 

ガンダムエヴァ、私は、パソコンが得意ではあったけど、数学も点数取れてたけど、大学は西洋哲学を学んでいたようなド文系の人でして

それでも女性エンジニア的なものに憧れていたのは、ガンダムとかエヴァに出てる女性エンジニアがかっこよかったからです。

ホワイトベースをガチで操るミライさんとか、めっちゃかっこいいパソコンの達人、リッちゃんとか。

それでエヴァではPanasonicのパソコン結構出てきて、仕事選ぶ時も「レッツノートが支給される」とか「タフブックが支給される」とかいう条件で飛びついたりして。

紆余曲折で富士通の派遣に潜り込んだときは、エンジニアと少し離れた業務で

シンゴジラのとき「主人公の使うパソコンを選ぶ」というポジションになりまして

私が選んだパソコンを矢口が使ってる!!!ってんで、取材受けたり、ハマりすぎて沼すぎて映画館に通い詰めたりして。

シンゴジラ、、、庵野、、、さん、、

 

音楽については、ミサトさんに惚れすぎて、朝からエビスを飲む学生生活の中「葛城バレエ団」というバンドを組みました。私の曲とアレンジをやるバンドです。ただバンド名を名乗りたかった。かっこいい大人のミサトさんになりたかった。「こんばんわ葛城バレエ団です」って言いたかった。言えた。そしてそのまま、葛城バレエ団が終わり「くつした」をはじめて

今もミュージシャンでいます。テレビにも出ちゃった。

 

離婚のタイミングでシンゴジラの狂騒の中にいたので、蒲田に引っ越してきてしまいました。

 

半生、このように

庵野さんに振り回されておりましたが

 

結局、たぶん、かなり知識と実績のある女性エンジニアになれました。たぶん。

ネルフ?ヴィレ?に呼ばれても、リッちゃんの右腕になれるとおもいます。

コーディングはやいし。たぶん。

大事なことは.すべて、エヴァから教わったんだよな。

 

そして3月8日。朝7時。壮観。300人の「大きなお友達」で満席の渋谷の映画館。

雨の日の、寒い朝

ずっとこの寒さや雨や空気感を覚えてるんだろうなって思いました。

旧劇のときのそれがそうだったように。

 

そして、シンエヴァを見てから出社して、何をしてても涙ぐんでしまいそうなほどの気持ちで

でも、そう、金髪ベリーショートの敏腕エンジニア、私はリツコ、という気持ちで頑張れて

会社を出て渋谷の街を歩いていたらぼろぼろに泣けてきてしまいました。

 

ほんとに終わっちゃったんだ、、、、

この結末を見れずに先立ってしまった友人知人たち、、、

彼らの分も、生きている。

教えてあげたいのに、みんなもう、いない。

なんだよなぁ、これの感想戦トークしたかったよ、clubhouseとかでさ!

死ぬなよー。

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これからもしぶとく生きて、色々なものを見て、見届けて、いきたいなと思いました。

 

ほんっっっとにアスカ最高。

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積みプラモ増やしちゃった。

 

おわりです。