素通り通信

愉快な記録です。

11月11日靴下の日、今年は黒木ちひろさんとツーマンライブです。

もう、結構前の話になってしまうのかな、うつ病とかパニック障害とかがキツかった頃

おそらく脳のあちこちがバグっていて、たとえばどんなに天気が良くても曇り空に見えてしまうような、色の認識がおかしくなっていました。

私がやたら派手な服とかライブ衣装とか着ていたのはそういう経緯もあります。

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その頃出会ったのが、今回ツーマンライブを行う黒木ちひろさんです。

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初めてお会いした時、ちひろちゃんは青い服を着ていて、その瞬間、彼女とその周りのちょっとした風景だけは、以前のように色が見えてきました。

 

その、青い姿のちひろちゃんは、まるで妖精のようで、結局のところ、私は、黒木ちひろという存在に出会ったおかげで、空の青さを取り戻しました。

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その時の感動というか思いが強く「八月の青」という曲を作りました。曲のテーマはずっと決まっていて(マンボウが死ぬ話と自分の流産の話がモチーフです)、頭の中で鳴っていたんですが

最後にかけていたパズルのピースが「青」だったんです。

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その後、ちひろちゃんのライブに時々行くようになったり、何度か対バンしたり、配信ライブを見たり(ちひろチャンはライバーさんでもあるのだ!)なんだかもう大好きとしか言いようのないくらい大好きになってしまいました。

曲が、ほんとに素晴らしくて、何度も泣いたことがあるし、彼女の歌に命を救われたこともあります。

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そして何より、ちひろちゃんは本当に優しい人で、私が激鬱であまりの激鬱で記憶が飛びまくってた時期に、ふと優しい言葉をかけてくれて

ずっとずっと歳下なのに、本当に救われました。

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うつ病ってどんな感じか、患ったことのない人にはなかなか伝えずらいですし、同じ病であっても、個人差はあると思うのですが

私の場合は強制的に上から何か重いものが落ちてきて、泥だらけの沼に沈められたような体感になります。当然もがいても、もがいても、どんどん、沈んでいってしまいます。

もちろん呼吸すらまともにできない状態です。

ただ、何度も何度もそこから這い上がってなんとか上半身だけでも泥のなかから顔を出して、少し会社員の生活をして、また再発をしてしまってズブズブ沈んで、を、繰り返して10年。

 

そして、本腰入れて這いあがろうと2年間休んだ結果今の自分がいます。

もう泥沼から完全に這い出して、陸の上、まだ身体は泥だらけだけど、水ぶっかけて洗い流して、社会復帰も目の前に近づいています。

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これだけは言っときたいんですが、一人暮らしの人間がうつ病から抜け出すのは至難の業です。

自分がおかしくなっている状態か、見極める人もいないし、鬱が重い日に動けなくなった時に病院に1人でいくのもなかなか難しいし、身の回りのことも何もできないので数日絶食とか何度もやってしまうし、無意識の自傷をやってしまっても止める人がいないです。

そして長引くにつれて、お金も、社会的キャリアも、信頼も、友人も、どんどん失っていってしまいます。

病みかけている一人暮らしの方々、だれか頼れる人を見つけてください。同居とまでもいかないまでも、定期的に会ってくれる人とか。

私は、激しくどもっていて会話がスムーズじゃないことに気がつくのが遅かったです。生きてる人間と話すチャンスがなかったから。たまに会う友人にチェックしてもらってましたが。

と、いう話はさておき。

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黒木ちひろさんの話に戻ります。

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いつもいつも、博愛に満ちている、心優しい黒木ちひろさんは、泥沼に、まさに泥の底にいる、絶望の闇の中にいる、そんな人たちを、時には下から持ち上げたり、上から手を差し伸べたりしてくれる、光を差してくれる、そんな歌が歌える人です。

 

それは多分ちひろちゃん自身が、もがきながら生きてきた証でもあるかもしれない、そうでもないかもしれない。

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いつ自分の命を絶ってもおかしくなかった泥の底にいた私に、いつか空の青さを取り戻させてくれたように、また青い空の下で笑えるように、ちひろちゃんは、素敵な歌で、泥から這い上がるきっかけをくれました。

いまここで生きているのは、ちひろちゃんのおかげです。

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そして、黒木ちひろちゃんというのは、ポメラニアンよりもかわいいです。どちゃくそ美人です。めっちゃくちゃかわいいです。

この間藤沢で打ち合わせをしたのですが、あまりにかわいすぎて、目を見て話すことができませんでした。これはもう重病な恋にも似ています。

 

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きっとかならず、ちひろちゃんはもっと大きな舞台に立つようになって、手の届かない存在になって、超メジャー級になっていくポテンシャルのある人でありますので、今のうちに至近距離で堪能しておきましょう。

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どうか皆様、11/11は、space KABAにお越しください。13時オープンのお昼ライブなので、夜の予定と掛け持ちもOKとなっております。

KABAは何でも美味しいですが、都内では珍しく本格的な伊勢うどんが食べられるお店です。

そして、コーヒーが絶品、お酒は色々あるけど特にハイボールがめちゃくちゃうまい。

 

KABAで飲んで、うどん食べて、最高の1日にしましょう。

 

この日は、実は、くつしたライブ活動20周年記念のイベントです。もともとバンドはずっとやっていて、ソロでステージに立つ!というのを始めたのが20年前のことでした。

当時から緊張知らずで会場をバカウケさせて、次に出たバンドさんに「くつしたさんの次やりずれーわ」と言わしめたファーストライブでした。

そう、もう、クツシタサン20歳です。

いろんなことがありました。それは当日お話します。この20周年記念に、大大大好きな黒木ちひろちゃんと、バチバチのツーマンをできるのは光栄です。

 

ちなみに、黒木ちひろさんをKABAに呼びたいな、と言っていたのは、 KABA設立オーナーの星埜さんがまだご存命の頃で、湘南に凄いアーティストがいるんですよーって話を、してて

春になったら、ちひろちゃんとか女性アーティスト呼んでイベントやりたいねーと話していました、その矢先に永遠のお別れになってしまいましたが

星埜さん、やりますよ、ついでにまた12月にお寿司もやりますよ、長い長い鬱から抜け出しましたよ、見ててくださいね。


最後に!私と黒木ちひろさんはプレイスタイルがぜーーーんぜーーーん違うのです。

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なんだこの差は、、、、、

 

いつものように客席を走り回り靴下を配りまくり、話芸で沸かせて、今年で33をやって

私が掻き回した、もはやぺんぺん草すら生えないような、むちゃくちゃな会場の空気を

ちひろちゃんがうまくまとめてくれると思います。

でも、負けないからな!私は若者の芽を蹂躙することに定評がある!

嘘です!2人とも天才なので天才vs天才ですー!!!

 

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※ちなみにこれ、我が家の壁です。黒木ちひろ95%


最後に、黒木ちひろさん、何度も救ってくれてありがとう。命の恩人です。そして、同じ時代を共有できる時に生まれてきてくれてありがとう(これはお母様にいうべきか!)。いつもくだらん私のギャグにゲラゲラ笑ってくれてありがとう。つられてこっちも笑顔になってしまうくらい、素敵な笑顔をありがとう。

生きててくれてありがとう。

 

ちひろさんの歌を必要としている人に、人たちに、どうか届いて、あの日の私のように空の青さを取り戻してくれますように。

 

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クツシタサンは黒木ちひろさんが!!!大好きですーー!!

東京5年生

先日、ちょっとだけテレビに出演しました。

 

出演というか街頭でインタビューされてコメントをしたのがちょろっと流れた、という程度ではあるが

なにしろ地上波のゴールデンである、偶然見てた友人知人がすぐ気付いてくれた。

見た目はともかく声に特徴がありすぎるので、自分でも出てきた瞬間びっくりした。

(いつ流れるかとか知らされてなかったし、全カットもありうるので、ぼんやりテレビを見ていた)

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東京に来たのが2018年の1月。

つまり、東京5年生になりました。

 

なんもかんも、5年めになるほど時間が経つのに中身は成長もせず、うつ病には苦しみ、体重は増加して、この5年間を振り返ろうとしても記憶がおぼつかない年代になってしまったわけなのだが

実は東京に来てから、なぜか毎年テレビに出ている。しかも全部地上波。

わざわざ出たことを公言するまでもない背景キャラだったり、電話インタビューだったりもあるのだが

デカいとこでは、あれよあれ、家についてきてもらってライブハウスで芸能人とセッションしたりもしてて

なんだかんだ毎年地上波に出ている。

やっぱチャンスがあるんだな東京には。

 

東京ってすごいんですね。

 

と、思ったが、近しい知人友人親戚をあたっても「毎年地上波に出ている一般人」というのは、あまり見当たらない。

わりと珍しいことなのかもしれない。

 

そりゃ、酔っ払って下北沢を歩いててテレビの人に声をかけられる→ライブハウスで芸能人とセッションする→地上波ゴールデンで流れる

という流れの急展開のすごさ、本人はのほほんとしていたのだが、かなりすごい話なのではないか。

テレビに出たい若者など今はいないのだろうか、いるとしたら、東京に来れば出れるよってアドバイスしたいが、いや、そうでもないのか、私の運が強いのか。

なんだかんだテレビに出るというのは今でも結構なすごい話で、人気のYouTuberみたいな位置付けの人も地上波に出るってなると歓喜していたような、、、

誰でも出れるわけではないのだな。。。

 

たくさん失って東京に逃げてきて、得たものはテレビに出る能力でした。

ってことですか。

あまりこう、なんだ、音楽とかやってて

積極的に売れたいとか有名になりたいとか、若い頃はそういう思いも少しあったかもしれないけど、ガツガツしてる感じではなかったです。なんでガツガツしなかったというと、それなりに願望が現実になっていってたからです。

いつか共演できたらなーって思ってた人とふつうに共演したり、時にはそれが世界規模のすごい人だったり、テレビもくつしたやりはじめてわりとすぐ、20代の時点で出たっけな。

いろいろありえない経験は積んできておりまして。ガツガツしてないのに。

と、しれっと書いてるし相変わらずのほほんとしてますが、ひとつの画面の中で自分が芸能人と一緒に映ってて、それを全国の人が見てるんだ、って、想像つかないけど、いろんな場所のいろんな家庭のテレビで私が喋ってるさまが見られていたのですね。

本人は駅前の、都がやってるPCRモニタリング検査を受けて、ふらふら酒のことなど考えて歩いてたところ制作会社の人に声をかけられて、あ、出てもいいっすよーってなってそのままインタビューされた(そして酒を買って帰った)という軽い感じだったのですが。

 

で、その他、収録に至ってないけど街角でテレビの人に声をかけられる、という経験は昨今ほかにも何度かありまして

しかもそのうちのひとつは、出たことある番組だったり。

どれほど家についてきたくなる顔をしているのだ、わたしは。

 

まだオンエア未定の何かがあるらしいので、ってフワッとした言い方しかできない段階ですが

このあとも地上波のなにかに出る予定です。

 

その時は告知します。たぶん。

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おわり

 

5月、再び壊れる

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ゴールデンウィークは寿司を握り

翌週足の指を骨折

そしたら割と人生最大級の不眠症になってしまい

四日間で二時間くらいしか眠れなくて、ろれつは回らず、涙が止まらず、足は痛いし、ぐったり。

なんとか頑張って通院は続けているので

わりと今、眠剤がすごい重い処方になってます、まあ眠れるようにはなったが

不眠の時期の自分の行動が割とありえない感じで壊れてて

あと不眠が続くと視力、聴力、思考力全部落ちますね。

頑張ってたくさん歩いて疲れさせるとかの技も、骨折してるとできなくて

軽い地獄にいました。

ちょっとまだ怖いです、不眠が。

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22日のライブはYouTubeで配信するそうです。

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またね。

45歳くつしたさんのまとめ

44歳の終わり、2020年の12月に転職して今の会社に入りました。

 

1月 テレビ「家ついて」出演

2月 なんだろ

3月 ライブとかしたかな、ねずみが来る

4月 仕事増える、体調が微妙、ラジオに出る

5月 燃え尽きる

6月 イベント主催、学級崩壊、盲腸1

7月 忙しくてかなわん、ワクチン、ライブ自粛

8月 太りすぎる、ワクチン、精神壊れ吃音、盲腸2

9月 壊れたまま生きている、盲腸3

10月 ??

11月 ライブ再開、ラッパーになる、アメ横で飲む

12月 ラジオ出演、うつ病再発、いろいろ終わる

 

 

それだけでも色々ありすぎる12月の私

うつ病再発

パニック障害

ガスがとまる

ガス復旧したらガス漏れ発生の連絡(なおる)

電気が止まる

携帯が止まる

すごい希死念慮の衝動に苦しむ

ねずみちゃんがかわいい

黒木ちひろさんがかわいい

ピクミンのお陰でうつ病にしては外に出れるようになる

きむら、好きだ

友達がみんな、いいやつ

元同居人が日本酒送ってきてくれて、おいしい

記憶がないまま顔面打撲

アパートの更新料を振り込んだつもりが、大阪の楽器店に振り込んでしまう

返済されるが年明けになるとのこと

会社がいろいろ私が不利になる条件(賃金面)をちらつかせてきたので労基に訴え中

借入も詰んできてブラックに乗る

だいたい死にたくなる。

 

ほしいもの、あげときます、

 

くつしたさんのほしいものリスト

Amazon.co.jp

 

ピクミン、ポケ森、リヴリーやってます

 

金髪はやめてます、テレビ効果のすごさを思い知りまして、、、、、

 

まあでも、なんだ、有名芸能人とテレビでセッションしたり、あらたにラップ始めたり、仕事、最後の最後でちょっとだめだったが一年は全力疾走して技術力発揮できたし、大好きな人たちとライブイベントやれたし、ねずみかわいいし、悪くない45歳でした。

ジャニーズアイドルと共演したんだぜ、やばいよな。

 

よい46歳でありますよう。

 

みんな大好きだ。

 

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鬱の再発

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ひとつ前のエントリーに精神科通いが終わって薬も抜けた話を書いたのだが

残念なことに今週になって鬱が再発したようで、病院にはまだ行けてないのだが、トイレ行くのも数時間かかる感じで、これは鬱だなと

じわじわと予兆があったのを無視して、うつぬけしたことにして、少しの無理を重ねていたら危険水域に達していたような、そんな感じです。

 

とにかく動けないのだが、家は日当たりがよいので温まってくると少し動ける。

 

どれだけの人に迷惑をかけてしまっているのか、今の会社もようやく一年、ハードではあったが一年なんとか続いて、不満はあれど、好きではあって、責任も果たせない現在、ただ横になって泣いているとか、どうしてこうなったのか。言語化できないくらい脳を何かに乗っ取られているかのような思考の重さ。

 

2年前に大きめの鬱になり、派遣で行ってた職場に迷惑かけてしまい、契約も終わり、泣きながら最後の仕事をして、ちゃんと休んで薬飲んで治して復活してねって優しい人に言われて、戻ってこれたと思ってたらまたこうなるとか、学びがない。

どこで判断を間違えたか判断する思考力が今はない。

 

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ぼんやりしながらも、何度もここから立ち上がってきたことを思い出すと

以前よりも立ち上がり方は知っているはずなので

なんとかして戻ってきたいと思う。

 

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またね

 

ふんわり抜けたうつ病と秋のさみしさ、黒木ちひろさんのライブを見にいった話

30代の序盤だったか、一緒に飲んでいた友人が「20歳の頃ってつい最近だったって感じするじゃん」と言っていた。
その時はそんな感じもしていた。20歳からあの年齢まで過ごした時間、そしてその時点から今までの時間、体感的には後者のほうがずっと長い。
年を取ると月日が早くなるというのは結構真実ではない。

その翌年友人は癌でこの世を去った。ちょうど11月のことだった。なので、なんとなく秋はいろいろと思い出してしまう。

運命はいろいろなものを奪ってしまう。
生き残ったのが自分でよかったのか。
こんな40代になってよかったのか。
もっと早めに見切りをつけるべきだったのではないかと。

つい最近も以下のようなことを書いていた。

kutsushita.hatenablog.com

仕事でもそれ以外でも、20代や30代の若者と話をすることが多い。
本来なら、40代のくつしたさんが楽しそうでかっこいいから、自分も大人になるのが怖くなくなった、ああいう40代が待っているなら生きていきたいなと思わせるような40代でいるべきなのだが、自分ははるか遠いところにいる。

 

ちゃんと抜けたのかどうか定かではないのだが、今年、抗うつ薬とかの類を飲まなくなって、離脱症状も出なくなった。
薬で脳内物質をいじっている状態から脱したのだ。
こうなった自分は本来の自分なのか、それとも壊れた部分はそのままなのか、わからない。

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そんな、なんてことはない秋の日、黒木ちひろさんのライブを見に行った。
黒木ちひろさんというのは何というか、いつも整っており、ミュージシャンとしても人間としても立派で、つねに我々の背筋が正されるようなふるまいをされていて、尊敬に値する感じの人で、というかまだ全然若い人なのだが、同世代にこういう人がいたら、勝ち負けではなく打ちのめされて、自分は早々に音楽とか辞めていたんだろうなと思う。
おそらく、24時間365日黒木ちひろさんが黒木ちひろさんであり続けるのは大変だろうけど、ずっとそこにありつづけている。尊敬しかない。

決定的に黒木ちひろさんには足を向けて眠れないと思っているのは、今年の初頭の自分のテレビ出演、あれは黒木さんのライブを見に行った帰りに取材陣にキャッチされて実現したものであり、もう黒木さんのおかげでしかない。それで最終的にオンエアされるとかいうレベルを超えて、長年大好きだった芸能人の方やキラキラしたジャニーズアイドルと全国放送でセッションまでやってしまったのだから、ほんとに感謝しているし寝るときたぶん足は絶対に向けない。
かといって、私に、その感謝について、できることがあるかというと何もないので、精いっぱい黒木さんを応援するのである。

 

で、半年ぶりくらいに、その黒木さんのライブを見た。何度か行ったことのある横浜のハコである。
何かスペシャルなことがあるわけでもない通常のブッキングのライブ、自分にとってもそう、何かスペシャルなことがあった日ではなくいつものように労働に疲弊して見に行った数あるライブのうちのひとつ。
だったのだが、妙に心にひりつく印象が残るライブだった。切実さがすごかった。
まあ、概してライブというのを繰り返していると、特別ではない時のものが、ずっと頭の中に残り続けるような、そういうことはあると思う。
自分も経験してきているが、ものすごい有名人と一緒のイベントとか、ものすごいお客さんがパンパンに入っているとか、ものすごい大きな会場でやるとか、ものすごいゲストと一緒に演奏するとか、ものすごい事務所のプレゼンライブとか、ものすごい台数の配信カメラがあるとか、そういった「ものすごいこと」が特段無い、そういった日も音楽は音楽で、ライブはライブなのだ。

黒木さんは割とこう、きちんとした演奏をする人で、「緻密に折り目正しい」という言い方が合っているかどうかは分からないのだが
逸脱することにスリルと美学を感じてステージに立ち続けている自分には絶対にできないスタンスだ。たぶんそうなのだ。
でも、そういった黒木さんが「折り目」からはみ出すアウトプットを出したとき、聞きなれた言葉もメロディーも全然違うルートで直接心に刺さってくる。

「音楽」ではなく「表現」を浴びせられた瞬間だ。

おそらく「ライブ」をいうものをその場で見るという醍醐味は、そういった、その場所にいないと刺されない箇所でずぶずぶと刺される体験があるかないか、というのがあると思った。

この日のライブは、その、ひりひりとした「表現」をたくさん浴びた、そんな気がした。

 


「すごくよかったです」って言えばよかったのだが、私のような人が言ったところで、、、、どうなのだろうか、、、と逡巡してしまい

感想がうまく伝えられなかったので、買ったばかりのビールを黒木さんにあげた。

自分は最近髪の毛を自分で剃るのが楽しくなってしまったので、かなり変な髪型で、外に出るときは帽子をかぶっていて、ライブも変な帽子を被って見に行った。
正直帽子が似合うタイプではない、髪の毛も似合わない。
「ワイは帽子も髪の毛も似合わない」と、こないだ、黒木さんのスタジオ配信のときコメント欄に書いていたのだが、それを覚えていたようで、ちょっと突っ込まれて、ちょっと嬉しかった。

 

折り目正しい感じの黒木さんだがライブ中にときどき覚醒したのかという瞬間があり、そのときすごい鋭い目をする。ギラつくというと若干下品だが、整っている黒木さんがああいう目をすると、背筋がびくっとするくらい感動する。頭に刃物を突き付けられている感じ。そういう瞬間も何度かあったなというライブだった。
ひたすらに切実だったんだろうなと思う。
整っている黒木さんは、もがいている姿さえも、美しいのである。

 

秋の日の、なんてことはない日のライブではあるが、5年後10年後に「黒木ちひろさん」のことを思い出すとしたら、この日のライブだったりするんだろうなと思った。
いろんなことは忘れてしまうが、覚えているんだろうな。

自分にとっての過去というのもわりとそういうものだ。

 

まあ、さすがに10年後は自分、生きていないと思うが。

運よく5年後も生きていたとして、このライブのこととか、黒木さんのギラっとした目とかのことを思い出すのだと思う。

 

なんてことはない日のことを、なんてことはないシチュエーションのライブのことを
記憶の断片ではなく「思い出のひとつ」にできる体験は貴重だ。発端は些細な何かが引っかかっているだけなのかもしれない、でも、その時の切実さや感動はずっと思い出に残っていく。

そういうことが少しあれば、生きていける。


余談になるのだが

このような、ひりつくような体験がそこそこ手軽に味わえるので、アマチュアミュージシャンのライブに結構いっていた。しかしコロナ禍とかそういうのがあって、あとアマチュアですごいなと思える人がぜんぜんいなくて、いろいろ疲れてしまっていて、行く頻度も減ってしまった。
まあたぶんアマチュアの側も、たとえば女性だとおっさんしか見に来ないとか、届けたい相手にちゃんと音楽が届けられないジレンマはあると思う。
私という個人は比較的恵まれていて、そこそこ届けたい人に届けられてきていたりもするのだが
なんだろうな、あんまりみんな腐らずに音を出し続けてほしいなとは思う。
私は、ちゃんと、受け取りに行きます。

 

冒頭に書いた友人が今も生きていたらどうなっていたのかなあと考えることはたまにある。絶対にかなわない夢なのだが。
ちょっと引くほどに私の音楽の才能を買ってくれている人だったので、たぶん、今年のテレビ出演なんかも異常な熱量で喜んでくれてたんじゃないかなとか思った。
あれから何度も繰り返した秋、その向こうに凍てつく冬がある。

 

まあ、とりあえず、生きるんでいいと思う。