新社会人になるみなさんへというか新社会人にになったときの思い出(20世紀を語るババア)
くつしたです。
テレビで「金髪OL22年生」って紹介された変な人が過去の話をします。
変な人ですね。
大学を出て社会人になったのは、1999年の春のことでした。
すごい話ですね、20世紀ですよ。
私は一浪してそれとなく小規模な国公立大学に進み、登校せずに酒ばかり飲んで堕落した大学生活を送っていたのですが
周囲の流れに乗って就職活動というものをやってみました。
当時は葉書を書いて資料請求してエントリーするっていうシステムでした(インターネット?なにそれ?)よくわからんが周囲の人たちが頭は悪いけど意識は高い、みたいな人たちだったので、みんな盛んに就活してまして
私もやらなきゃいけないのかなという気持ちでおりまして。
よく「就活しなかった」ことを自慢する大人っているじゃないですか。レールに乗りたくなかったとかリクルートスーツが嫌だったとか、そんな感じの論調で。当時はいたんですよバブルの名残が上の世代にあったので。
じゃあ公務員とか国家資格とか取ってるかっていうとそうでもなく、パッとしないフリーターみたいな人。
個人的にそこってアピールする箇所じゃないと思ってたんですよね、そしたら「高校受験しなかった」とかのほうが希少性は高いのかと。
大学まで行っといてレールの話はしないほうがいい。
そして私の世代は就職氷河期でございまして、(今になって社会問題になってる世代です。)異常に大変だ大変だという感じが出てました。
なんというか、そういう時代であるなら、就職活動をやっといたほうが
おそらく経験としてプラスになるのでは。
ということで、流れに乗って就活をはじめたわけです。
ちょうど就活の頃、今の姿が想像できないころの写真がこちらになります。イケイケ女子大生ですね。しかも古い。
じつは若干モテてましたが人の好意を信じない人だったので損をしてたようです。
この写真は祖母が米寿になったってんでパーティーしたとき家族が揃ったからってんで親戚の誰かが撮った写真です。ん?米寿だっけ?
祖母はその後もずっと元気で102歳?103歳?くらいまで生きました、長寿素晴らしい。
その祖母のお通夜に行った時の私の写真が以下になります。
我ながらひどい。変化しすぎではないですか。たしか前の写真と同じスーツなんですよ。すべてがひどい。
これは前月?前々月?くらいに脳のカテーテルでくつしたさん、入院しまして、何かあったら頭を開く手術になるかもという理由で人生何度目かの坊主にしていたら、伸びかけのタイミングで祖母が亡くなってしまいまして、、、、(この話は長くなるので別のところで。)
で、就活の話に戻すと
ちょっとやってみたら、当時いちばん行きたかった会社から内定が出てしまいました。
氷河期になんという幸運。
ぶっちゃけてしまうと、私の就職活動というのは
二日酔いだからとか、なんかだるいからとかいう理由で会社説明会などのいくべきところに行かなかったり、面接官がわけわからん感じだった会社は、選考進んでも、その後居留守使って連絡を断ってみたり、やりたい放題のむちゃくちゃでした。
そう、氷河期なのに「選ぶ側」をやっていたのです。
もうほんとに今から考えるとひどい。
行きたいなーという希望がすごい会社しか行かなかったし、リゾート地で2泊3日(だったかどうか記憶は定かではない。ただ、テニスをさせられて疲れたのは覚えている。)の合宿審査みたいな面白そうなやつは行ってたし、なにより就職活動を言い訳にして授業さぼりまくれたのがよかった。
だいぶひどい話ですが、なんとなく私は行きたいところに行けるという変な自信がありました。
それでまあ第一志望に内定をいただいたわけですが、内定出た最終面接で話したこと、内定の言葉いただいた瞬間とかは今でも鮮明に思い出せます。
くつしたさんは氷河期にさっさと内定取れた幸運の人になりました。
5月くらいだったかな。
で、その新卒で入った会社は学習塾で、わたくしは専任講師になりました。
今の私を見ている人は、くつしたさんって先生に向いてるとか思うでしょう、実は向いてなかったんですよ。
人前で話すの苦手だし、勉強できなかったから教えるのも得意ではなかった。
でも会社は手厚くて、そんな私でも立派な先生をやれるようにって入社半年前から研修が何度もありました。
極め付けは3月はじめの研修合宿。
その最終日に配属先発表になり、そのまま3月後半から「春期講習」に投入されたわけで
大学の卒業式とかやる前にくつしたさんはフル稼働で社会に投入されてしまっておりました。
卒業式の日だけは休みがもらえたけど前の日も次の日も仕事です。
そんなわけで「学生気分を残したまま4月1日から社会人だウォーー!」という経験は、しておりません。
それどころか、内定が出ていたものの学業をサボりすぎていて絶対的に単位が足りておらず、卒業できるかどうか最後の最後まで確定していない、これまたひどい状況でした。
卒業認定に落ちて掲示板に名前貼られたんですよ。
しかし、うちの大学には卒業認定に「救済措置」的なものがありまして
それは最終の取得単位確定時に「授業一コマ」だけ足りない場合は当該授業の教授から直接指導を受けて単位認定を受ければ卒業できます、というものでした。
私は幸運にもその「一コマ」で足りない状態でして
「一コマ」をクリアして卒業もしてしまいました。
ちなみにこの救済措置はうちの代が最後だった。ありえない幸運。
運の良い「新社会人」としてスタートダッシュを決めまして
その後3年間塾で死ぬほど鍛えられ、その後いろいろと流転の生活ですが、今現在はたいへん良い会社で好きな分野の仕事に没頭できています。
そんな就活時代とかの過去を知っている人のラジオ番組にゲスト出演することになりました。
横浜は本牧の「マリンFM」という局で(リスラジというアプリで、どこでも聴けます)
4/5からスタートする「白石清裕のやかんラジオ」という番組に4/19と26の2回ゲスト出演です。
収録はだいぶ前に終わっておりますが
くつしたさんの学生時代から知っている人の番組ですので
なんか凄いパフォーマー「くつしたさん」として
今までいろんなメディアで扱われていた真面目な内容とはぜんぜん違う、攻めた方向性で
超絶にひどい面白い話をしておりますので
いまから「リスラジ」をインストールして
お待ちいただけたらと思います。
どこにも明かしてない黒歴史白歴史黄金歴史闇歴史を四半世紀知り合いの人に炙り出されるふごいことになってますので
みなさん聞いていただきたいです!
ちなみに3月から仕事してたので、入社式の記憶はありません!!!!
じゃあねー