素通り通信

愉快な記録です。

皆勤賞に価値はあるのか

千葉の高校で、とある担任が合言葉は「クラス全員皆勤」という指導をしていて、2年連続達成したという美談がニュースになっていた。
「社会に出ると、少しぐらい体調が悪くても仕事を休めない」から、学生のうちに休まないことを身につけさせたい!というのが先生の持論で、そんでクラスが一体となって休まないぞという空気になるらしいです。
高校にもなってそんなことやって、なんだかんだ達成してるってことはこの先生、生徒をノせるのうまいのかな。それとも実は恐怖政治敷いてるのかもしれない。実は退学とかしてるやつもいるのかもしれない。忌引きや出席停止は勿論除外してるよね。インフルエンザとかも除外してるかな。持病によってはどうしても平日の昼じゃないと病院やってなくて治療できないものとかあるんじゃないかな。これが原因でイジメになったりしてないか。大病で休んだやつは村八分にされたりしちゃうのか。いらん心配をしてしまいます。
自慢でも何でもなくて結果でしかないのだが、私は中学校の3年間皆勤賞でした。卒業文集にも書いてあるし、卒業式のときに図書券貰ったので本当です。たしか遅刻も無かったと思う。
別に担任にノせられたわけでもなく、ちょっとした風邪は引いたが休むほどの病気もせず、中学校の目の前に住んでいたので(徒歩10秒)通学がちょう楽ちんで、気づいたら3年間過ぎていました。
貰った図書券は、西武百貨店の本屋でストーンズとピストルズの本を買ったらなくなりました。
皆勤を狙ってたわけではありません。卒業直前に知らされて「えっ!そうなの!」って感じだった。図書券もらえることも卒業式まで知らなかった。
小学校の時も「1年間休み無し」で過ごした、いわゆる皆勤学年が何度かあった記憶があります。というか幼稚園も年長の1年間は皆勤だったようです。これはつい最近ようちえんの出席手帳を見たので確かです。
なもんで私、多分「欠席日数」というのは、平均的なお子様から比べるとかなり少ないんではないか。
あ、でも小学校1年の時だけは詳細忘れたが延々と通院する病気になっていて、後半けっこう休んだ(とはいえ年間で10日も休んでないのだが)のかな。だからそうでもないか。
多分それで母が「この子は病弱なのでは」と思って食べ物と健康とかに気を使うような育て方してくれたのではないかな。で、そのおかげで、その後殆ど休まないようになったんじゃないのか。
個人として頑張って皆勤だったわけではありません。


そんで高校にあがるわけですが、高1の冬だったか、わりと大きな風邪ひきました。2日くらい学校を休んだのですが、数年ぶりに学校を休むという体験をして「あ、休むってこういうことなのか」「たまに休んだところで不都合ないわな」「休み最高」と、逆に目覚めてしまい
2年次以降は代返してもらってサボるとかそれで部室でベースの練習するとか、たまにそういうことやってた記憶があります。
その後「通学」という概念が完全に崩壊したのが予備校時代。ぜんぜん行かなかった。
どうも小さい予備校で、レベルが合ってなかったというのがまずあるのだが
横並びで同じ講義を受ける必要性がよくわからなくなり、ガンガン欠席するようになった。
親元離れて寮生活で、授業料寮費が免除だったので「サボること」に良心が痛まなくなり、サボり癖に拍車がかかるのです。自習室には、たまに行ってましたが。
大学も浪人までして受かったというのに、周囲や教授陣が呆れるほど行きませんでした。


私が言いたいのは、学校なんてもんは頑張ってまで毎日行くほどものではない、ということです。ただそれだけです。
社会に出てからに関してはいろいろ個人差あるかとは思いますんで「頑張ってまで毎日行くもんじゃない」とか言えませんが(絶対休めなくて這ってでも来い、なんなら自宅まで迎えに行く、休むなら死ね的なスパルタ会社も、有休使いまくれる温かい会社も、両方経験しています)
自分とその周囲を見てきた感じだと、適度に手を抜いたりサボったり休んだりしてリフレッシュできる人のほうが、几帳面で「いわゆる真面目」で休めなくて最終的に病気で大穴あけてしまう人よりは、周囲に与える影響も本人の精神や健康状態も含め、マシなんじゃないかと思ってます。


なので皆勤より「効率よくサボる」「適度な手抜きは悪くない」というのを教えたほうがいいんじゃないか、ってのは言いすぎか。