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素通り通信

愉快な記録です。

国際理解の難しさ

中学校一年の時、同じクラスにハーフの女の子がいた。
アメリカと日本のハーフらしいのだが、見た目はモロにアメリカ人。金髪で目が青くて超かわいい。
まったく日本に来た経験がなく、この春やってきて、英語しか話せないとのことだった。
当時住んでいた地域は、外国人が多くて出身小学校は「外国人の児童」の人数だか比率だかが公立小学校では全国一位だった。その当時だが。
しかも皆揃いも揃って研究者の子供なので頭がよろしく、通常普通のクラスに混ぜてたまに日本語の補講(近所のボランティア的な主婦とかが教えていたような記憶がある。主婦も皆研究者の妻なので、英語くらいは喋れる人が沢山いるのだ。)受けてる状態で、数ヶ月ですっかり日本語しゃべれるようになり溶け込んでいた。
ついでに帰国子女もわんさかいて、英語普通にしゃべれる同級生もゴロゴロいて、中学1年で英検2級とか珍しくもなんともなく、たしか初めて中学生で英検1級を取った生徒というのがその中学校出身だった。
そんな状態で中学生になったので、外国人(ハーフだが)が一人クラスに居たところでまあ珍しい感じは無く、周囲も慣れてる感じではあった。
というかそれとは別に同じクラスに中国人もいたんだった。そいつは5年生くらいの時にやってきて、やはり恐ろしい速さで日本語をマスターし、なじみすぎていたので外国人という感覚がなかったな。当然授業も試験もすべて日本語で全く問題ないしついてきてやがった。成績もそれで人並み以上。ギャグの精度も高かった。実は以前はアメリカにもいたので英語も堪能だったようなやつである。中1でトライリンガルかよ。
そして私のクラスは担任も英語教諭だったのである。
英語話せるヤツがあちこちにいるし、担任も英語で話せるし、トライリンガルまで同じクラスにいるんだし、日本語の補講みたいなの受けてたし、まぁコミュニケーションも日常生活もそんなに問題なかろうという印象。
それでも困ったのはハーフの彼女は出席番号が私の次だったのだ。
授業等で隣になる機会が多い多い。掃除の班なんかも同じ。
休み時間や移動中などは帰国子女が通訳したり補助したりできるのだが
授業中なんかはさすがに無理なので、細かい連絡指示等を私が教えてあげなくてはいけないタイミングが多かったのだ。困った。
当時の私は、小学校のとき「こども英語教室」にちょっと通ったくらいで、英語の授業が始まったばかりの中1。海外経験勿論無し。
多少ベストヒットUSA的な音楽を聴いていた素養はあるがそんなものは役に立たない。
でも英語で話さなくては彼女に伝わらないと思って、なんかいろいろ勉強した。塾の先生に聞いたり、帰国子女の子を問い詰めて教えてもらったり、まあ何か頑張ったおかげで
たまに話したり助けたりできるようになった。
でもまあ、あまり大っぴらに構い過ぎるわけでもないです。
で、皆もそんな感じで頑張って英語で話して助けたりしていたのでした。
そんなわけでわりと良好な関係を築けていると思ったのではあるが
授業中に突然泣き出されたことがあって。
理由は外国人扱いしないで、めずらしがらないで、ということらしかった。
英語の授業で当たったりすると、さすがに発音がいいので皆が他の人と違う反応(おおー、とか)するのが辛かったらしい。バカにされてると思ってしまうそうな。
担任から皆に「過度の外国人扱いは控えるように」とのお達しが。


日本語の補講も受けてるし、親も片方日本人という環境ではあったが、秋になっても冬になっても彼女は決して日本語をしゃべろうとしなかった。
とはいえクラスの皆は外国人扱いせず、かといって冷たく振舞うこともせず
帰国子女が出しゃばってお世話係的なことにもならなかった。ごく自然な感じ。


三月、進級を控え、彼女はアメリカに帰ることになった。
最後まで日本語を話そうとはしなかった。
そして終業式を迎えて、配られた学級文集に
彼女は綺麗な日本語で作文を書いていた。



「この一年間、ずっと私はひとりぼっちでした」
「ひとりも友だちがいませんでした」
このクラスの人たちは皆冷たくて心がないようなことを作文でさんざん批判していた。そして自分はかわいそうだと。



ハァァァァァァァァァァァァァァァァ??
読んだとき、ふざけんなと思った。そしてピュアな私は、なんというか傷ついた。
周囲の友人たちも同じような反応だったと思う。
担任ですら何か「これ読んで皆さんあまり落ち込まないように」とフォローしていた始末。
あれを読んだときの落胆振りは20年たった今も思い出せる。
あーあー、国際理解って難しいんですね。やってられんわ。
でも、しばらくして思ったのは
こっちは頑として日本語で話し続けて「日本語を話さざるを得ない状況」を作り出すとか
多分そのほうがよかったんだろうな。
現に英語圏でない出身の人だったとしたらそうなってるわけですし。
そうやって小学校時代はいろんな国の子と仲良くやってきたじゃないですか。
中途半端に母国語で受け入れられてるけど通じない相手も多い、ってかなりのストレスになりそうだ。
もともと内気な子が心を閉ざしてしまうのも無理ないのかなぁということ。
そりゃそうだ。
真の国際交流って難しいんだなと。
そんな中1の終わり。
そして私はその半年後、自分も転校して茨城弁の世界に放り込まれ
結構なまでの文化の違いに戸惑うことになるのであった。



その後の人生で、英語でつまづいたり困ったりすることがなかったので、あの体験には感謝しております。